署名運動
署名運動の出発点は遺体引き取りに出かけた帰国の機内。ヘイメーカー
家の長男ウエブの言葉「次の大統領候補クリントン氏に、日本からやってき
た友人のYOSHI(剛丈のニックネーム)がアメリカの銃社会の犠牲になってし
まった。アメリカの銃の状況をかえてほしい、と手紙を書くよ。」がヒントになっ
た。市民と大統領の関係が非常に身近な間柄である事を知り、大統領に銃
の規制を訴えれば何か変わっていくかもしれないと考えた。機内で「アメリカ
の家庭から銃の撤去を求める請願書」の草稿を書き、1992年10月25日の通
夜の席より署名用紙を配布した。署名は2ヶ月後にはすでに100万人分とな
り、12月15日アマコウスト大使に一部を御渡しした。「YOSHIの会」メンバー、
剛丈の同級生たち、全国組織であるAFS、YFUなどの留学斡旋団体などの
働きが大きいが、マスコミ報道の力によるところも大であった。同時期にアメ
リカでも剛丈のホームステイ先のヘイメーカーさんを中心として日本と連動の
署名運動が始まった。
1993年11月16日、服部家とヘイメーカー家の二家族そろってクリントン大統
領に面会し、日本の署名170万人分と米国分15万人分を渡した。ワシントン
DCでの行動窓口は全米銃規制暴力阻止連名(CSGV)。大統領は「銃は警
察と軍隊だけのものであるべきだ。」と語った。
11月20日ブレデイ法案が議会で可決されたが、署名の後押しがあったこと
は疑うべくもない。